明日は違う自分になっているかもしれない、ということ。

大学で所属していたゼミの同窓会イベントのお誘いが届いた。
どちらかと言えば淡白な人間関係で過ごしてきたので、そもそも同窓会のお誘いはほとんど来ない。時々、Facebookで小・中・高の同級生が同窓会で集まっているのを見かけたりするが、特に何も思わない。孤独は嫌いだけれど、濃い人間関係を築くことができない。それが自分という人間なので、あまり細かいことは気にしないことにしている。
話を戻すと、そんな私が何度かゼミの同窓会イベントのお誘いを受けることができているのは、定期的に教授や先輩・後輩と連絡を取り、情報交換をし続けている優秀な同級生がいるから、である。彼は少し年上なのだが、優しくてユーモアがあり、ギターやその他の楽器も上手な芸術肌で、去年まではMBAコースで英国に留学し、帰国後は日本でも有数のコンサルティングファームに転職した(らしい)そんな彼とはバンド活動などがきっかけで大学時代はよく一緒に遊んでいた。知らない間に(いや、元からなのだろうけれど)優秀になり、遠い存在になってしまったようにも感じるけれど、それでもたまに皆に連絡をくれる、マメな人なのである。
LINEグループトークで連絡が来る。LINEを交換する前は、Facebook Messengerで。ところで、この手のグループチャットがなかった時代は、同窓会の連絡を取り合うのはきっと大変だったのだろう。そして自然と連絡が取れなくなった人々は、その輪の中から少しずつこぼれていく。
私は、幹事をやってくれる友人のようにマメにはなれない。時々ふと、昔の友人に会ってみたいと思っても、大抵の場合は面倒になって連絡を取ることをためらってしまう。だから、というわけではないが、幹事にはなれない代わりに、せめてお誘いへの返事は早めに返すように心がけている。連絡不精な私なりの精一杯の考慮なのだと思う。
意外なことに、グループチャットの中で、他の友人たちからの返事は来ない。"既読"が数件ついたとしても。きっとそのうちポツポツと返事がくるのかもしれないし、来ないのかもしれない。幹事の彼はマメな人だから、スケジュールが近づいたら個別に連絡を取るのかもしれない。きっとみんな忙しい。みんな私よりずっと優秀だ(IT業界に進んだ人はほとんどいない)金融・保険・ファッション・建築・自営業、みんなそれぞれだ。結婚した人、子供ができた人、親の介護をしている人、みんなそれぞれ事情がある。忙しいことは、いいことだと思う。
大学時代を思い出す。私はいつもイベントのお誘いに返事をするのが最後だった。返事をした時は「いいね。行くよ!」と言っていても、イベントが近づくたびに「めんどくさいな」と思いはじめる。とにかく人付き合いに対してめんどくささを感じてしまうタイプなのである。どんなに仲の良い友達と会う予定だったとしても、大抵はめんどくさくなってしまう。そして「まあ、他の人もたくさん行くし、私がいかなくてもいいや」と思いはじめる。
そして "ドタキャン" する。もちろん連絡はする。しかしそれが結構直前だったりもする。"ドタキャン" アレルギーの人がいたら、もうそれは犯罪行為とも思える類の行為であろう。
"ドタキャン"に対して否定的なことを言う人は多くの場合人の(私の)時間を無駄にしている認識はあるのか」と怒る。まあ、わからなくはない。その人にとってみれば、スケジュールを調整し、この日のために新しい服を買っていたかもしれない。他の大切な予定を押してでも確保した"スケジュール枠"なのかもしれない。
以前、同じように同級生の集まりを企画してくれた友人がいた。みんなそれぞれ新入社員で四苦八苦している仲、飲みに行こう!と企画してくれたのだ。忙しいながらもみんなの予定が合う日が決まった。しかしやはりそこは新入社員である。みんなそれぞれ別の会社で忙しく働いている。それぞれの事情がある。飲み会の日程が近づくにつれ、一人、二人、とキャンセルが増えていく。大抵の場合は「ごめん、納期が・・・」とか「急に上司との飲み会が入っちゃって」とかそんな感じである。
飲み会を企画してくれた友人は怒った。キャンセルをした一人ひとりに電話をかけて冷静に怒った。もちろん私にも電話をかけてきてくれた。彼の言い分はもっともである。みんなが忙しい中、そして何より彼が忙しい仲、やっとのことでスケジュールを合わせたのに、みんなLINEのメッセージ1つでキャンセルを告げるのである。その時は「そうだね、ごめん。次からは気をつけるね」で終わったし、彼はいい人だし、相変わらず友人である。
何年か経過し、彼は転職をした。家族も増えた。新しい人間関係も増えたのだと思う。またみんなで集まろう、というタイミングがあった。幹事は特にいなかったけれど、グループトークで数人集まり、日程が決まった。今回は直前まで誰もキャンセルしなかった。きっと、以前彼が怒ってくれたことを気にしていたのかもしれないし、もしかすると就職後数年経って、自分なりにスケジュールをコントロールしやすくなった人も多かったのかもしれない。
そしてイベントの1〜2日前。前回電話で怒っていた彼は「ごめん。会社ゴルフイベントが入って行けなくなった!」とメッセージを入れた。まあ、普通の反応だと「おいおい」となるでしょう。実際に、そうなった。幸いなことに、私達は余計な気を使う仲ではなかったから、誰かが「いやいや、君、前にドタキャンで怒ってたでしょ」とツッコミを入れた。だからといって雰囲気が悪くなるわけではない。「悪い!悪い!ごめん!ほんとにごめん!」「いや、まあしょうがないよね」「二次会から来れば?」と自然にスケジュールを調整した。
そんなもの、なのである。日々が経過すれば、人それぞれ環境が変わる。忙しさが変わる。気持ちも考え方も変わっていく。元気な時もあれば、なんとなく気分が乗らないときだってある。急に体が思うように動かなくなることもある。家族が増えたり、減ったりすることもある。
だから私は「人の(私の)時間を無駄にしている認識はあるのか」と怒ることはない。そもそもそんな風に考えることをしない。気づいたらなんとなく約束をして、なんとなく会ったり・会わなかったり、そういう友人ばかりになっていた。誰も、相手の気分の浮き沈みを憂いたりしない。その日に会えたら嬉しいし、たくさん話しをする。その日に会えなかったら「また今度会えばいいね」なのである。
待ち合わせの相手を待つ時間に好きな音楽を聴けばよい。読みかけの本を読めばよい。コーヒーをお替りして、時々外の風景に目をやればよい。もしあなたがエンジニアならコードを書いてもいいし、Twitterに思いを書き連ねてもよい。誰もあなたの大切な時間を奪おうとしているわけではない。誰もがそれぞれ与えられた時間の中で、その日その日を暮らしているのである。
今日、あなたはとても元気で、バリバリと仕事をこなし、1分1秒を効率化することに力を注ぎ、時は金なり!プロセスより結果だ!仲間と一緒に頑張ろう!と張り切っているかもしれない。そしてそんなあなたはたくさんの人に評価されているかもしれない。でも明日、朝起きたら、あなたの生活は変わっているかもしれない。それは待ち合わせの相手も同じなのである。
コストと時間をかけ、人数を制限したイベントだって同じだ。主催者は大変だ。人気のイベントにはキャンセル待ちの人たちがたくさんいる。でもみんな直前にキャンセルしたりする。そして主催者の人たちの心労は増える。悲しい気持ち、ときに怒りも見ることができる。これについてはここで考えをまとめることはできないし、いろんな思いの人がいると思うので、すぐに答えは見つからない。ただ、私は怒らない。私が軽々しくドタキャンをするからではない。極力しないようにはしたい。でも私はドタキャンをする人にも無断で欠席する人にも怒りを覚えない。それが私の考えである。もし、コストや人間関係の面で問題が出るのだとすれば、来ないことを選択した人たちに対する怒りではなく、何らかの仕組みで対処できないか考える。それでも対処できないときは「うん、これは失敗だったね。次はよい時間になるとよいね」と考えれば良いか、と思う。
明日は違う自分になっているかもしれないし、同じ自分であり続けるかもしれない。それはわからない。でももし「私の時間を奪わないで」と怒っている人がいたら、あなたの幼い日から今までの日々を思い出して、ちょっと一呼吸置いてみてほしい。きっとそこには、違うあなたがいて、ここには今のあなたがいるはず。わからないけどね。なんとなく。
※写真は大学生の時の私。とても下手なギターを弾いている。いろんな意味で若い。